Natuloveな日々

シンプルライフ 私の記録

さよなら父ちゃん。

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ご無沙汰しています。

 
この数ヶ月、バタバタとしており気がつけば4月
 
またもブログ放置となってしまいましたが
 
ボチボチ再開していきたいと思っています。
 
よろしくお願い致します。
 
 
 
 
 
 
父が亡くなりました。
 
先月末の事です。
 
 
 
昨年秋頃からこちらのブログにも父の事を少しだけ書いてきましたが
 
私の父は自宅での介護生活を送っていました。
 
 
 
昨年の夏、大学病院での検査で
 
歩けなくなった原因がようやくわかり
 
しかし同時に、指定難病であるという宣告を受けました。
 
 
父は 筋萎縮性側索硬化症(通称:ALS)という病気でした。
 
 
 
 
数年前、この病気をテーマにしたドラマを三浦春馬くんと多部未華子ちゃん主演で放送されていたので、それを見ていた方ならこの病気がどんなものなのか何となく想像はつくかもしれませんが
 
私もたまたまあのドラマを見ていたので、病名を聞いた時にはショックと言うより、信じられない気持ちの方が先でした。
 
 
 
 
 
 
我が家の場合、
 
この病気がわかった時に一番最初にしなければならなかったのが
 
《「もしも」の時、どうして欲しいのか
 
本人の意思を一時帰宅から戻るまで
 
(3日以内)に確かめておく。》
 
事でした。
 
(病気を宣告されたその日に看護師さんからそう言われましたが、
後に、宣告を受けたばかりで事態の把握をすることさえままならない状況の中、本人と家族へ対し差し迫る様な言い方をしてしまったと謝罪を受けたので、これは通常ではないのかもしれません。
どちらにせよ、それは必要な事でしたが。)
 
 
 
万が一、倒れて救急車で運ばれた場合
 
病院では〈生きる為の措置〉をとるから、だそうです。
 
その時に、本人と家族とできちんとした話し合いが出来ていなければ、
 
その時にもし本人が話せる状態になくそれが伝えられなかったとしたら
 
本人の希望とは異なった結果となる可能性が大いにあり得る。。
 
(実際にそういった例もあったそうです。)
 
 
 
 
実家へ戻りその日家族全員で話し合い、
 
翌日父への意思確認は私がする事になり
 
自宅へ戻る車の中で話をしました。
 
父の選択は
 
《延命治療はしないでほしい》
 
というものでした。
 
それともう1つ
 
これは父たっての願いで
 
2度と入院はしたくない、と。
 
 
 
 
 
 
この7ヶ月、本当に色々な事がありました。
 
ここには書ききれない程に、です。
 
 
 
自宅介護で父の世話をする事を
 
幸せ、とさえ言っていた母ですが
 
並大抵な事でなかったと思いますし
 
日に日に目に見えて悪化していく父を見て
 
いつかはくるその時の覚悟をしなければならないという現実…
 
心の葛藤も相当あったと思います。
 
 
 
しかし父の事があった事で
 
家族の絆がより深まったのも事実です。
 
この病気がわからないままいたら
 
きっと私達家族には沢山の後悔が残ったと思います。
 
 
 
 
父は病気がわかって少しした頃から
 
何かにつけて「幸せだ」とか
 
「ありがとう」と言っていました。
 
 
娘の私が言うのもおかしいかもしれませんが
 
父は本当に幸せだったのだと思います。
 
 
私に言った、最期まで自宅にいたい
 
という願いも叶える事ができました。
 
 
 
こちらでも書いた記憶がありますが、昨年父は一度危篤状態に陥りました。
 
あの時は嚥下性肺炎だったのですが、
 
すでに喉にも症状が現れ始めていた事を示すものでした。
 
しかしあれから持ち直し、
 
信じられない事に亡くなる3日前まで大好きなお酒も飲んでいました。
 
晩酌は父の何よりの楽しみでしたから
 
それはとても大きな事と言えます。
 
 
又、先月頭には父の誕生日があり
 
父には内緒で家族全員で集まってサプライズパーティーをしました。
 
その時も一緒にお酒を飲んで、とても嬉しそうにしていた父
 
今思うと、あの日みんなでお祝いできた事
 
本当に良かったと思います。
 
 
 
 
 
 
 
昨年祖母が亡くなり
 
一年経たずして父が亡くなり…
 
人の命の儚さというものを感じています。
 
 
 
しかし
 
別れはとても悲しい事ではあるけれど
 
同時に
 
たとえ大切な人との別れでも
 
そこには遺された側、そして旅立つ側の
 
家族の誰もが何か納得のいく
 
ある意味満足感をも感じられる様な別れ方もあるのかな
 
と父の葬儀を終えて思いました。
 
そんな私達もまた
 
とても幸せなんだと思います。
 
 
 
 
 
頑固でぶっきらぼうで不器用で
 
昭和の男を代表する様な父でしたが
 
とても気持ちの温かい人でした。
 
父が沢山の方に愛されていた事も
 
そしてそれを間近で感じる事が出来た事も
 
私にとっての幸せでもあります。
 
 
 
 
 
 
帰り際、頭を撫でられながら
 
 (友達風に)
「ケンちゃんまた来るからな!」
 
と調子にのった口をきく娘に見せた
 
とびきりの笑顔が今も焼き付いて離れません。
 
 
 
 
明日が来るのは当たり前なことではなく
 
今生きている事は奇跡…
 
 
きちんと前を向いて生きていかなければと思います。
 
 
 
 
 
 
沢山の愛をありがとう
 
父ちゃん。
 

 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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